出会いのカタチ
男女の出会いには様々なドラマがあり、そしてそれは時代によっても大きく変化してきた。今では男女が出会って恋をしてまた別れて、あるいは結婚して、などというのは当たり前になっているが、一昔前まで、ほとんどが結婚する相手はある程度親に決められていた。結婚は個人と個人ではなく家族と家族が結びつくものという考えであった。しかし、だんだんとそういう風潮もなくなっていき恋愛を自由にできる時代になってきた。お見合いもいわば親やその親族が勧めた相手だった。今ではお見合いは結婚紹介所などで紹介してもらった女性とするなど、かなり選択の幅は広がってきている。
最近ではインターネットの普及によりネットでの出会いが盛んに行われもはやネットでの出会いも選択肢の一つとして市民権を得てきているのではないでしょうか。文通とメル友はよく似たもので、お互いの顔をしらずにやり取りをする。そこから恋愛に発展することも少なくないでしょう。しかし、匿名性が高く不特定多数の人が利用するインターネットは出会いの幅を広げると同時に、様々な危険をも同時にもたらしてくる。まだまだ出会い系サイトといえばあまりよくないイメージを持っている人もいてるでしょうが、そういうインターネット以外で出会った男女のトラブルだって日常茶飯事に起きているわけで、何か新しいものが入ってくると、それに対する拒否反応を起こす人間が過剰に反応しているのではないでしょうか。
学校や職場での出会いと、ナンパや合コンでの出会いはいったい何が違うのだろうかといつも疑問に思います。出会い系サイトでの出会いもしかりだ。出会い方に対してそんないこだわる必要はないというか、人の目を気にする必要があるだろうか。友人に出会い系サイトを通じて知り合ったカップルがいるのだが、あまり人にどこで知り合ったかを話たがりません。出会い系サイト=悪いイメージというのが世間のイメージだからでしょうか。しかしそこで出会ったのは事実であるし、どういう出会い方をしたとしても2人は幸せなわけで、その出会いがなければ今の2人はないわけで、つまりもっとその出会いに自信を持っていいと思うと言いたい。人の目を気にする必要なんかまったくない。大切なのは出会い方でなく、出会ってからなのです。出会い方はただの始まりであってそこから2人で歩んでいく道のりが重要である。
文通やお見合いパーティー、結婚紹介所、ナンパに合コン、そして出会い系サイトと出会いの場は日々進化し続けてますが、出会いを求めているのは今も昔も変わらず男と女です。出会いを求めるという行動は何も不思議なことでも恥ずかしいことでもありません。元には子孫を残すという動物的本能がそこにはあって出会いを求めるという行動を起こすのだと考えるからです。しかし、人間という生き物は非常に複雑な生き物で、複雑な感情のもとに出会いを求めます。ですから出会い方にも様々なカタチがあり、単に子孫繁栄のための行動とは言い切れません。しかし、出会いを求めることは何も恥ずかしいことではなく、ましてやその出会い方も自由に選んでよいのです。